ギャルの歴史

1998年頃のマンバ・ヤマンバはギャル史上最も派手!

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1998年頃のガングロと同時期に流行していたヤマンバ・マンバはギャルの歴史の中でも一際目立つ存在です。

ヤマンバ・マンバとは?

ヤマンバ・マンバとは、ガングロがさらに過激に発展したスタイル

山姥(やまんば)のように爆発した髪型をしていたことから「ヤマンバ」や「マンバ」と呼ばれるようになりました。

ガングロよりもさらに肌を黒くした「ゴングロ」の肌をしており、メイクもより派手!とくに目元のメイクはインパクト大!でした。


ヤマンバやマンバたちは、体をがっつり焼いていたけど、顔にはタオルをかけて焼かなかったんだよ!

その分黒肌用ファンデーションやフェイスパウダーで黒くしていたよ!すっぴんだと顔だけ白かったとか、今思うとすごいな😂

吹き出し用ギャル

ヤマンバ・マンバの違い

1998年ヤマンバ1999年マンバが誕生。

両者の違いは目元の白く塗る範囲です。ヤマンバは目元の上部分のみを白く塗るのに対して、マンバは目元の下部分も含め目の周りを全体的に白く塗ります。

少し控えめなのがヤマンバで、よりインパクトの大きい方がマンバとなります。

マンバの男性版のことを何ていうか知ってる!?“センターGUY”っていうんだよ!

吹き出し用ギャル

ヤマンバ・マンバの特徴

肌の色

ゴングロ肌をしている

※焼くのは限定。顔は黒肌用ファンデーションやフェイスパウダーで黒くします。

ヘアスタイル

爆発したようなボリュームのある髪型

髪色は白髪銀髪オレンジピンクなど派手な髪色

メイク

ベースを黒肌用ファンデーションやフェイスパウダーで黒くする

目元・鼻筋・口元を白く塗る

目の下にキラキラのラインストーンをつけ、派手な色味のカラコンをつける

ファッション

服装はALBAROSA(アルバローザ)やミジェーン蛍光色の服

ハイビスカスのレイ)やカラフルなアクセサリーをじゃら付け(

まとめると、ゴングロで顔に派手なメイクを施し、ハイビ柄の服を着てアクセサリーをじゃら付けしている派手なギャル!

レイ・・・首にかけるハイビスカスの花飾りのこと。

じゃら付け・・・アクセサリーをじゃらじゃらと大量に付けること。


ALBAを着ている(ヤ)マンバ ハイビ柄ワンピの(ヤ)マンバ

ALBAROSAは、当時のギャルの御用達ブランド

ハイビ柄(ハイビスカス柄)がトレードマークでハイビ柄のコートは多くのギャルが着ていたんだよ!

吹き出し用ギャル

当時のヤマンバ・マンバたちの様子

当時のギャルたちが集まってしていたこと
  • ひたすら語って(喋って)騒ぐ
  • プリクラを撮りまくる
  • パラパラを踊りまくる~第三次パラパラブーム~
などなど!

ひたすら語って(喋って)騒ぐ

ヤマンバ・マンバの聖地といったら渋谷

当時、渋谷のセンター街に行くとヤマンバ・マンバ集団が大量発生!!

プリクラのメッカ)前などに集まってひたすら喋って盛り上がっていました。

プリクラのメッカ・・・渋谷のセンター街にあるプリクラ専門店の名称。

ギャルの溜まり場になっていた場所です。

プリクラを撮りまくる

プリ機「ストリートスナップ」

ヤマンバ・マンバはプリクラが大好き!

みんなで集まった記念に毎回プリクラを撮っていました。

全身プリが撮れるストリートスナップ”というプリクラ機は多くのギャルたちから人気でした。

パラパラを踊りまくる~第三次パラパラブーム~

時代は第三次パラパラブーム真っ只中!

多くのヤマンバ・マンバがパラパラを踊りまくっていました。

ナイト オブ ファイヤー」や「ミッキーマウスマーチ」のパラパラバージョンとかは当時のギャルならみんな踊れる!ってくらいめちゃくちゃ流行ってたな~

吹き出し用ギャル

ギャル文化というサブカルチャーの中でも一際目立っていたヤマンバ・マンバ。

ド派手でやりたい放題で下品という見方がある一方で、誰にも媚びずに自分のやりたいことをやる自己主張をするというスタンスで、明るく健康的で良き時代だったと筆者は思います。

平成の歌姫「あゆ」こと浜崎あゆみさんを参考にする白ギャルが流行すると共に見かける機会が減りましたが、2005年頃になるとマンバから派生した「セレンバ」「ココンバ」「ロマンバ」「バンバ」が誕生。

渋谷の街にパワーアップした派手な黒ギャルたちが戻ってきました。


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