肌の黒さは「黒ければ黒いほどいい!」って言われていた時代だから多くのギャルたちは日サロ(日焼けサロン)に通っていたの♪
コギャルから発展したガングロやゴングロは、1990年代後半から2000年初頭頃をピークに大流行したギャルカルチャーです。
ガングロとは?~ゴングロ・バチグロって何?~
ガングロとはコギャルから発展した新たなスタイルで、1998年頃から2000年初頭頃をピーク流行したギャルファッションのことをいいます。
「日焼けして顔面が黒い→顔黒→ガングロ」や「ガンガン黒い」を省略した言葉で、とにかく肌を焼いて黒く見せる!というギャルが渋谷や池袋を中心に多くいました。
ゴングロとは、ガングロよりもさらに肌を黒く焼いているギャルたちのことで、ゴングロよりもさらに黒くなると「バチグロ」と言われていました。
ガングロの特徴
肌の色 | 肌が黒い(ガングロ<ゴングロ<バチグロの三段階) |
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ヘアスタイル | 金髪やシルバーなどハイブリーチした髪色+メッシュ |
メイク |
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ファッション | ハイビスカス柄の服 or ビビッドカラーなど鮮やかな色の洋服 |
ガングロの特徴は一言で表すと肌が黒くて“とにかく派手!”
中高生ギャルたちからはLOVEBOAT、mejaneなどのブランドが人気だったよ!ALBAROSAは憧れのブランドだったな〜😳
ゴングロ三兄弟withUがギャルブームを牽引!
ガングロ・ゴングロ全盛期、ギャルたちのカリスマ的存在だったのが”ゴングロ三兄弟withU”
ゴングロ三兄弟withUとは、1998年~2000年頃ギャル雑誌eggで人気を博していたブリテリちゃん+あこ吉ちゃん+ふみっこちゃん+ゆうかちゃんの4人の総称です。
1998年8月号のeggで彼女たちが取り上げあれると一躍話題に!
彼女達は行くとこまで行ったゴングロギャル感が本当に凄まじくて、カリスマ的存在でした。
ゴングロ三兄弟with Uを見るためにeggを読んでいたギャルたくさんもいたとか!
後に登場するヤマンバギャル達よりもどこか大人な雰囲気(?)で、ギャル全盛期の象徴とも言われています。
中でも“ブリテリちゃん”人気は凄まじく、彼女がピン表紙を飾った2000年3月号はeggの売上至上NO.1に輝きました!!
「egg」2000年3月号(2000/2/1発売)
出版社:大洋図書
表紙:ブリテリ
当時のギャルたちの様子
ギャルは集団行動が大好き!ギャルサーなどもあったように、ギャルたちはとにかく集まって行動します。
当時のギャルたちが集まってしていたこと
- パラパラを踊りまくる
- 地べたに座って騒ぐ
- プリクラを撮りまくる
- 人間観察
- ナンパ待ち
- 天サロでがっつり焼く(夏限定)
パラパラを踊りまくる~第三次パラパラブーム~
1999年~2001年頃にかけて“第三次パラパラブーム”が到来!
パラパラのクラブイベントが開催されることが多々あり、ギャル・ギャル男たちはこぞって参加していました。
当時のギャルならみんな踊れる「ナイト オブ ファイヤー」や「ミッキーマウスマーチ」のパラパラバージョンなど、クラブだけでなく学校でも街中でも家でもとにかくずっとパラパラを踊っていました。
関西のゴングロギャルだったA子さんは「ナンパされたイベントオーガナイザーの男性からビデオを借りたりして、いっぱい予習をしてパラパラのクラブイベントに参加していた」とのこと!!
地べたに座って騒ぐ
ガングロ・ゴングロギャルたちは仲間とみんなで地べたに座って騒ぐのが大好き!
渋谷のセンター街では地べたリアンが続出しました。
地べたリアン懐かしい~
けど、良い子はマネしないでね💦
プリクラを撮りまくる
ギャルたちはとにかくプリクラが好き!
ほぼ毎日会っている仲間たちとも毎日必ず1枚は撮るのが当たり前でした。
校則が厳しい学校に通うギャル達も、プリクラを撮る時にはスカートを短くして、ダボダボのルーズソックスにラルフローレン()の大きめのセーターを着て・・・。思いっきりギャルに変身して撮影していました。
ラルフローレン・・・ポニーのマークがトレードマークで、「POLO」という愛称でもおなじみのファッションブランド。 90年代は女子高生のカーディガンでも人気がありました。
当時流行っていた“ストリートスナップ”というプリクラ機は、今までにない全身プリが撮れることもあって大人気だったよ!
人間観察
当時のギャルたちは人間観察も大好き!
自分はサーフィンをしないくせに、周りのギャル男たちを眺めては、あの人は陸(おか)サーファー()だとか、勝手にケチをつけまくってギャル仲間と楽しんだりしていたとか。
陸(おか)サーファー・・・サーフィンをしていないけれど、サーファーのようなファッションをしている人のこと。マイナスのイメージで使われることが多い言葉です。
ナンパ待ち
当時ギャルたちが異性と出会う方法は圧倒的にナンパが多かった時代。
渋谷のギャルはセンター街やクラブ、関西のコギャルたちは、心斎橋の戎橋(通称ひっかけ橋・ナンパ橋)、たまにアメ村()の三角公園、梅田のHEP FIVE (ヘップファイブ)前やロフト前などによく集まって騒ぎながらナンパ待ちをしていました。
アメ村・・・正式名称は「アメリカ村」。
大阪府大阪市にある若者向けのアパレルショップなどが多数立ち並ぶエリアのこと。大阪の若者文化の発信地ともいえる場所です。
梅田のHEP FIVE (ヘップファイブ)・・・大阪府・梅田にある複合商業施設の名称。
109ブランドの店舗が多数入っていたため、関西ギャルにたちがよく買い物に訪れていた場所です。
天サロでがっつり焼く
夏になると肌を焼くために天サロ(天然日焼けサロン)するギャル続出!
とくに”海”はベストスポット!
海へ行きココナッツの匂いが懐かしいコパトーンの日焼けオイルを塗りたくって焼きまくる!そして、ナンパ待ち(笑)
それがギャルたちの夏の過ごし方でした。
当時のギャルたちはよくナンパ待ちをしていたけれど、出会いよりもとにかくギャル同士で集まること、ギャルトークで盛り上がることが重要だったんだよ!✨
ガングロ・ゴングロ世代は、とにかく黒い!の一択。
ここまで肌が黒いギャルがたくさんいたのは1990年代後半~2000年初期がピークです。
ギャル=黒肌が当たり前でしたが、「第2のギャルのカリスマ」として浜崎あゆみさんが登場すると、ガングロよりも白ギャルがブームとなり、黒ギャルの割合がぐっと減りました。